高倉健さんの死について思うこと
高倉健さんが亡くなりましたよね。
悪性リンパ腫だったとか。
もう高齢なのでまぁ不謹慎ですけど
無くなってしまう人も多い年齢には達していたわけですけどね。
なのでいつも思うわけですよ。
なんでいなくなってしまってからすごかっただの、気落ちするだのと
後悔するようなことばっかり周りの人は言うのか。
どうせなら生きてるうちに会いに行って
生きてる証じゃないけど話をしたりとか
一緒に何かやって想い出をひとつでも多く作るだの
何かしら個人の心に想い出の一つでも増やしてやれば、
って思うわけなんですけどね。
これは芸能人だけの話にあらず、
自分も同じことが言えるわけです。
例えば両親とか親戚のおじさんとかね。
まぁずいぶん何十年も会ってない人もいるでしょうけど
いなくなってしまってから、古い記憶を一生懸命たどってから
本当かどうかも怪しい記憶を思い出話として語るだけでしょう。
自分が小さい頃にあのおじさんが夜市に連れて行ってくれたとかね。
だったら生きてるうちに会いに行って、おじさんに言えばいい。
案外おじさんのほうが明確に覚えてくれたりするもんなんだよね。
小さい頃はこんな髪型して可愛かったなぁとか言ってくれるかも。
それだけでも自分にとってはすごいパワーをもらったことになる。
人の命に対して、のんびりしてられない、後悔する訳にはいかない
少しでも早くその人が喜んでくれるような自分に変わらなければならない。
まぁ簡単に自分は変わらないけれども、人の命はどんどん減っていくからね。
もし自分が、まだ生きているあの人に会いにいける自分になれたなら
自分が亡くなる時には多くの人が自分に会いに来てくれるはずだからねぇ。